犬の遺伝性整形外科疾患

科目:

整形外科・脳神経外科  陰山 敏昭

 

犬の遺伝性疾患について

純血犬の繁殖は交配の時期や血統的ラインの選択など100%人が関与しています。その結果、犬種特性となる気質、容姿ともに素晴らしい犬達がたくさん生まれています。ですがその反面で、遺伝性疾患をもった子達も生まれる可能性があります。その対策として遺伝性疾患を確実に減らして行くには、遺伝性疾患のないライン(血統)の犬たちを選択交配して行く必要があります。

 

犬の遺伝性疾患は1960年台から急激に増加し、1年に約10疾患ずつのペースで増え続けており、1988年の時点でその数は281疾患となり、2005年には犬の遺伝性疾患は450以上確認されています。その内訳としては骨関節疾患が19%と最も多く、次いで神経筋疾患17%、眼科疾患12%、皮膚科疾患10%、循環器科疾患と血液学的疾患が9%とつづき、遺伝性の異常は体の全ての器官に起こる可能性があります。犬の遺伝性疾患のタイプは、1つの遺伝子にのみ異常がある場合と、いくつかの遺伝子に異常がある多遺伝子性疾患などがあります。 例えば、世界的に発生頭数が数百万頭とも推定されている股関節形成不全症(Fig.1, Fig.2)など多くの疾患が多遺伝子性疾患に含まれ、これらの疾患は遺伝要因と環境要因の両方の影響によって発症します。

代表的な犬の遺伝性疾患としては股関節形成不全、肘関節形成不全、膝蓋骨脱臼、Musladin-Lueke Syndrome、遺伝性心臓疾患、聴覚障害、シスチン尿症、進行性網膜萎縮症、ヴォン・ヴィレブランド病など多数あります。

Fig.1 正常股関節;犬の正常な股関節のレントゲン写真

 

Fig.2 犬の重度な股関節形成不全症のレントゲン写真。左右の股関節が亜脱臼している。

欧米の現状と取り組み

牧羊や狩猟など、目的に合わせて特徴ある純血犬を作り続けてきた歴史を持つ欧米諸国では、40年以上前から遺伝性疾患に対する研究、取り組みが行われています。 純血犬は、スタンダード(犬種標準)に沿って繁殖するものであり、それによって遺伝性疾患が出る可能性があるからこそ、遺伝性疾患を抑えながら、よりよい犬を作っていこうという考え方が欧米諸国にはあるのです。

遺伝性疾患を確実に減らして行くには、遺伝性疾患のないライン(血統)の犬たちを選択交配して行くしかありません。したがって、欧米ではこれらの検査・登録をすること自体が、その繁殖者の信頼度を高めることにもなっています。

最も徹底した取り組みを行った国はスウェーデンであり、股関節形成不全を激減させることに成功しました。スウェーデンでは1959年より遺伝性疾患の1つである股関節形成不全症の罹患率減少に向けた取り組みが始まり、1976年から、個々の遺伝性疾患の発生状況を血統登録し、その情報を公開し、その個体情報を容易に利用することができるOpen registry(公開登録制度)が開始されました。このopen registryが各犬種と特異的な遺伝性疾患の遺伝履歴のデータバンクとなり、系統的な選抜繁殖が可能となりました。その結果、スウェーデンでの股関節形成不全症の罹患率は1976年から1989年までの13年間で46%から23%に半減しました。

こうした対策が功を奏した背景には「動物に対する飼い主の意識の高さ」があると考えられ、Open registryを行う際に重要なことは、犬種ごとになるべく多くの犬の遺伝性疾患を診断登録し情報公開することです。現在ではOpen registryは、遺伝性疾患の削減のために最も有意義な方法として世界的に支持されています。このように、犬に係わるすべての人の認識と努力があれば遺伝性疾病を削減することが確実に可能となります。

 

日本での現状と取り組み

遺伝性疾患の診断・登録とデータベースを作成する機関は日本においては、つい最近まで存在しなかったのが現状であり、実際にどの程度の割合でどのような遺伝性疾患が発生しているのかなどの詳しい情報を得ることはできませんでした。そこで、欧米と同様に日本での取り組みとして、2003年に非営利団体である日本動物遺伝病ネットワーク(URL:http://www.jahd.org)が設立され股関節形成不全や肘関節異形成や膝蓋骨脱臼などの遺伝性疾患の診断と登録事業を行なっています。欧米に比べて40年ほどの開きがありますが、遺伝性疾患に苦しむ日本の犬を減少させる目的で設立されました。また、2006年から日本動物遺伝病ネット ワーク(JAHD)による股関節と肘関節の評価結果を日本警察犬協会とジャパンケネルクラブが発行する血統証明書に記載することが可能となり、日本の多くの組織が遺伝性疾患に対する取り組みを開始しました。

 

また、一人でも多くの人が犬と幸せに暮すためには、一人一人が愛犬を検査・登録することが必要です。現在、共に過ごしている愛犬から多くの幸せを貰っているのですから、将来的に迎える犬たちのことを考え、すべての愛犬家が情報を提供し、その情報を共有することが大切です。それ自体は小さな1歩ではありますが、日本の犬たちにとっては大きな1歩が踏み出せます。犬を愛する飼い主、ブリーダー、獣医師、トレーナーなど犬に係わる全ての人の小さな努力によって犬の遺伝性疾患は確実に減らすことが出来るのです。

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